自動車メーカーのホンダが、2021年をもって、F1から撤退するというニュースが入ってきました。
撤退理由として、新型コロナウィルスの影響により、収益が悪化したこともそうですが、
EV車といった、環境に配慮した車作りを持続的に進めるためには、多額の資金が必要になり、
こちらを重点項目として位置づけ、F1からの撤退を、決断いたしました。
ホンダのF1へのチャレンジは、今期で第4期になります。
第1期は、1963年にプロトタイプのF1マシン、RA270が完成した。その後テストが
繰り返され、1964年8月の西ドイツGP(ニュルブルクリンク)がデビュー戦になります。
試行錯誤を繰り返しながら、1968年まで参戦し、それまでの6年間で、2勝を挙げました。
翌1969年、小型自動車の開発に莫大なエネルギーが必要と判断し、F1かた撤退しました。
第2期は、エンジンアプライヤーとして、F1に参戦することになりました。
デビュー戦は、1983年 第9戦イギリスGPにて、スピリットチームにエンジン供給。
翌1984年には、ウィリアムズチームとエンジン供給契約を結びました。
その年の第9戦、ダラスGPにて、ケケ・ロズベルグが、復帰後初優勝を飾りました。
翌1985年から、ホンダの快進撃が始まる。
1986年には、ウィリアムズホンダが、コンストラクターズチャンピオンを獲得。
1987年に、鈴鹿サーキットで初めてのF1、日本GPの開催されました。
そしてこの年から、中嶋悟が、日本人初のF1フル参戦を果たしました。
そしてもう1つ、ウィリアムスホンダが、ドライバーとコンストラクターのダブルタイトルを獲得。
翌年1988年には、マクラーレンホンダが、全16戦中15勝の圧倒的強さで、
ダブルタイトルを獲得。
翌年1988年にレギュレーションの変更で、ターボが禁止となりましたが、
1987年~1991年までの5年連続して、ドライバーとコンストラクターの
ダブルタイトルを獲得し、ホンダの黄金期として歴史に刻まれました。
1992年、初期の目標を果たしたとの理由により、今シーズンをもって、
F1からの撤退を表明しました。
第3期は、コンストラクターとしての挑戦です。
2000年、参戦2年目のBARチームとタッグを組み、F1へ参戦することになった。
しかし、順位が思うように上がらず、トップチームと争えるようになったには、
2004年シーズンからです。
2006年には、38年ぶりとなるホンダ単独となるチームでエントリー、
そしてその年のハンガリーGPにて、バトン自身としても初の優勝をかざり、ホンダチーム
としても、1967年以来、39年ぶりの優勝であった。
しかし、2008年のリーマンショックにより、今シーズンをもっての撤退を発表した。
第4期は、エンジンサプライヤーとして、マクラーレンチームと供給契約を結ぶ。
来年で撤退になりますが、いつの日か復帰することを、願っています。
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